マルハ大洋スポーツ

(原則日刊)2016年3月15日 第3種郵便物認可

論説主幹の独り言(2017.1.23)

毎年、この時期になると大学生時分における冬期休暇の事を思い出す。


今から20年前、1997年の冬期休暇は4月から大学3年生を迎える時期に
差し掛かるが、1月の下旬から4月の上旬にわたる、約2か月半のあいだ、
筆者は著しい体調の不調を抱えてた為、バイトをせず、友人と遊ぶこともせず、
ひたすら内に籠る生活を送っていた。


行う事と言えば、神保町の古書店街で買った、前田雅英先生の刑法学の専門書、
「刑法総論講義」「刑法各論講義」(東京大学出版会)をよく分からないながらも
閲読した上でノートを取り、あとはスーパーファミコンで遊ぶことくらいである。


よって出かけるところと言えば、自宅から徒歩数分の図書館、月に2度ほど、
秋葉原でスーパーファミコンの激安ソフト漁り、3月はオープン戦を2試合、
(神宮のヤクルト対ダイエー、千葉マリンのロッテ対横浜と決めていた。)
外出した程度だったと思う。
この時代の千葉マリンスタジアム最寄り駅、「海浜幕張」周辺は、まだオフィス
ビルも数多く林立していなかったし、幕張メッセの施設稼働率も低かったから、
平日の日中なんか閑散としていた。そんな中を駅からマリンスタジアムへ向かう、
近未来を予感させる無機質な街並みを、トボトボとゆっくり歩いていくのが
好きだったのだが。


さて先に挙げた「刑法」をなぜ自習していたのかだが、もちろん「司法試験」を
受けようというのではない。あんなもの最低でも中央の法科へ進めるだけの
学力というか、基本となる「頭の良さ」が備わっていないとまず無理。
筆者はいわゆる日東駒専レベルよりもさらに下の大学だ。
ただ単純に、筆者が法学部で基本六法の中で、いちばん刑法が面白そうで、
論理的思考能力を養うに相応しい学問だと思ったからである。
ちなみに使用したテクスト「刑法総論講義」「刑法各論講義」だが、大学で
指定されたものではなく、自習用にわざわざ買った。
買って2冊の本と格闘をしたのだが、大して理解が深まらなかったのは
言うまでもない。


この時期、将来の進むべき道として考えていたのが、同じ大学の大学院で
法学研究科に進むこと。あるいは言論人として生きるべく、新聞社へ入社する
ことである。
普通のサラリーマンになって、営業だなんだという仕事は性に合わないし、
実際に無事に勤めを果たすことも無理だと思っていたので、大学院進学を90%、
マスコミ受験を10%くらいのウェイトで進路を考えていた。
大学院では憲法か刑法を本格的に学んでみたかった。学問に適性が出てくれば、
継続して博士まで進んで学者を目指すもよし、修士でも学部卒に比べれば、
企業法務に携われるような仕事にありつけた公算は高かったろう。
そういうビジョンは持っていた。大学4年間を遊び呆けていたような連中には
勝ちたかったし、間違いなくそいつらよりも明るい未来が待っているだろうという
イメージも抱いていたのである。
両親からも、修士までなら大学院への進学は認める旨の了解も得られていたし、
障碍は何もなし、そのまま信じる道を突き進めば良かったのだが。


どういうわけか、大学3年の夏ごろを境に、
「大学を卒業したら即座に就職して、社会の役に立つ人材になって貢献を
しなければならない」という義務感というか焦燥感に苛まれてしまったのである。
何というか、無駄にメシを喰らっている存在を早く脱却しなければならないという
気持ちが全てを支配したようなものだ。


翌年、どことなく「宙ぶらりん」な意識を抱えた形で就職活動に臨む。
マスコミ試験対策に、SPIや一般常識問題集、小論文のトレーニングには
力を入れて取り組んだが、数多くの企業へ資料を請求したり、エントリーシートを
提出したりという積極的な活動は行っていない。
通算で受けた企業の数は、20に満たないのではないか。
結果は現状の筆者の境遇が指し示している。
マスコミ入社が難しければ、あとは法律関係の仕事に就く以外、自分に適性は
なかったのは間違いない。その点で、大学院へ進まなかった選択を腹の底から
後悔している。


人生失敗の本質は、全てここに詰まっていると言っていいだろう。


(完)








マルスポ時事低言(2017.1.21):アメリカの分断化は加速度的に進むのか

アメリカ共和党のドナルド・トランプ氏が20日正午、連邦議会議事堂前での
就任式で宣誓し、第45代大統領に就任した。
就任演説では、「既得権益層批判」「米国第一主義」「再び米国を偉大にする」など
の主張を掲げ、常々ツイッター他で発言している通り、国際協調路線から保護主義
政策への転換を全面的に打ち出す内容となった。
また、トランプ大統領に批判的な立場を取るデモ隊の一部が暴徒化し、
首都ワシントンでは200人以上の逮捕者を記録するなど、まさに「分断社会」を
象徴する波乱の幕開けと言っていいであろう。


筆者はニュース映像で目にしたに過ぎないが、一部の過激な行動に出たデモ隊の所為で、
ビルの窓ガラスなどが破壊された街並みを、アメリカ国内で見ようとは
予想だにしなかった。それだけ反トランプの意向を示す人々の鬱屈が大きく、
アメリカ社会における「分断」によって虐げられた人々の憤りの底深さに、
慄然とする思いである。


さて、昨今の国際情勢にまつわる話題の中で、「分断」というキーワードを
目にする機会がとみに増えてきているが、トランプ大統領の就任によって、
アメリカ社会がさらに分断化が進んで、自国のみならず世界中の政治情勢をも
混沌の渦に巻き込むことになるのか否か。そこが一番気がかりなポイントだが、
それを考える上でのちょっとした材料を、ここに提示したいと思う。
要は、トランプ氏の政治手法を象徴するポピュリズムについての基本的な考察
なのだが、もちろんこれは筆者のオリジナルではない。
2017年1月21日付:朝日新聞(朝刊)17面 オピニオン&フォーラム「耕論」の中で
千葉大学の水島治郎教授(専門:オランダ政治史、比較政治)が分かりやすく
分析しているので、以下に要約する。


左派ポピュリズム=貧富の差が激しい中南米等に多く、分配を求める。


右派ポピュリズム=欧州のように福祉国家化が進み、

         格差が比較的小さい社会で移民を排除する。


米国は、中南米と欧州の中間の社会

先進国であるが福祉国家化が遅れ、西欧よりも格差が大きい。

よってトランプ氏の右派ポピュリズムと、民主党のサンダース氏の

左派ポピュリズムの両方が支持を得るハイブリッド型のポピュリズムが

蔓延している。


米国において、既成政治かポピュリズムか、右か左かという2本の

座標軸で分類すると

「既成で左」ヒラリー・クリントン氏

「既成で右」共和党主流派

「ポピュリズムで左」サンダース氏

「ポピュリズムで右」トランプ氏


米国民はそれぞれの政治的立ち位置で、それぞれの候補者を支持


中南米は「ポピュリズムで右」が弱く、

欧州では「ポピュリズムで左」が弱く、

米国では4つの政治指向が揃っている。だから欧州よりも分断が複雑。



このことは、大統領選におけるトランプ氏の勝利が、予想外であったことの
根拠ともなり得るであろうし、一つの政治指向に固執して政策運営に当たる場合、
米国民間の分断を更に押し広げることの可能性を示唆しているとも思う。


差し当たっては、既得権益層への不満を解消する事が、政策の最優先課題となろうが、
その為には「働いたらそれに見合った富を享受できる」という実感がもたらされねば
お話にならないと思う。果たして政治の力でそれができるのかどうか。
筆者はその点では100%に近く絶望的と見る。
そして、雇用を増やす名目として、近隣諸国(といってもメキシコだけだが)に
工場などを進出する企業の姿勢に圧力をかけて、米国内に誘致するような働きかけを
行っているが、その事が働く人々の収入増加、ならびに雇用の安定に結びつくのか
どうか。これも懐疑的に見ざるを得ないことは、トランプ政策に異を唱える急先鋒、
経済学者のフリードマン氏がデータを基にした提言でも明らかである。
従って、これらの政策が不首尾に終わった場合、分断はさらに進むであろうし、
国内外の政治的不安定や経済に与える悪影響を危惧している。


また、トランプ氏は自国優先主義の一環として、北米自由貿易協定の見直しや
場合によっての離脱にも触れているが、それに対する日本経済への影響がどのように
及ぶかについては、大統領の権限でどこまでの政策決定が可能であるかを見通せない
以上は、予測が付かないだろうし、大方の日本企業の立ち位置も様子見という他は
ないのではないか。
そもそも「大統領の権限で出来得ること」そして、米国議会の運営の仕組みを
具体的に整理した上で、判断材料として正確に伝える責務がマスコミにはあるはずだが、日本国内の主要なメディアにおいてさえ、そのような姿勢がまるで見えてこないのは
一体どういう事であろうか。トランプ問題を考えるにあたって、一番重要な事項だと
思うのだが。


一方で、米国議会の承認を得ないと実現できない政策も少なくないはずだ。
それについては、上・下両院の多数を占める共和党議員の良識ある判断に
大いに期待したい。
「荒唐無稽」と言わざるを得ないトランプ氏の政策に歯止めをかける為に、
議会の果たすべき役割は、過去に例のないほどに高まっている。
従前通り、国際協調路線を軸としたバランスの取れた政治運営が為されることを
強く望むところである。








ザ・キング・オブ・ラリー パリーモスクワー北京(SFC)


タイトル:「ザ・キング・オブ・ラリー パリーモスクワー北京」
機種:スーパーファミコン
メーカー:メルダック
発売日:1992年12月
ジャンル:レース


このソフトが発売された1992年は、「パリ~ル カップラリー」が開催されて、
日本でも日テレだったか、テレ朝だったか忘れたが、深夜にレースの模様が
逐一放映されていたように思う。毎回ビデオに録画して、チェックをしていた
記憶が残っている。それくらい当時の私は、モータースポーツに心酔し切って
いたわけだが、この時代の日本人にとって、ラリーは割と身近な存在ではなかった
かと思う。三菱パジェロを駆って健闘する、篠塚健次郎氏をご記憶されている方も
少なくないはずだ。
そういった時代背景もあって、ラリー系のゲームは、数が少ないものの、
家庭用ゲーム機に何本かリリースされており、本作品もそのうちの一つである。



ラウンドごとにセッティングを変更するが、項目はコースの特性にあわせて、
エンジンとタイヤを変えるだけというシンプルな内容。





ギア操作は、Xボタンで1速、Yボタンで2速、Bボタンで3速という
やや特殊な操作方法となっている。一応、オートマ仕様も選べるが、
加速が大変鈍いので、マニュアル操作でレースに臨む方が速く走れる。


レースは、ラウンド1からラウンド10まで。
全ラウンドを完走しても、トータルのゲーム時間は1時間程度なので、
途中のセーブや、パスワードコンティニューは無し。
順位による足きりは無く、完走さえすれば自動的に次のラウンドへ進めるので、
慎重にドライブすれば、全コースを走破するのは難しくない。
ただし、他チームのマシンはかなり速いタイムをマークしてくるので、
総合優勝を果たすには、相当の技量が求められる。
また、ラウンド中に3度故障個所を発生させると強制リタイアでゲームオーバー。
適正な進路を見誤って、グルグル回っているうちに燃料が尽きても同様。


ゲームは、斜めからの俯瞰型。車をラジコンのように操作することになるので、
慣れないと思い通り動かすのは少々難しい。





















筆者はラウンド9の途中で、故障を3度発生させてしまった為に、ここでリタイア。


ラリー特有の広大な砂漠や湿地帯などを、正しい進路で走ることの困難さが
存分に表現されていて、なかなか面白いという印象。
操作性にクセがあって慣れるのに戸惑う点を除けば、
ゲームとしては良く出来ていると思う。


ただ、視点がグルグル動くので、目が回って3D酔いみたいな感じになりました。


(完)






マルスポ時事低言(2017.1.18):新天皇「元日即位」は難しいとする宮内庁見解について

「時事提言」ならぬ「時事低言」。
今日のテーマは表題のとおり。本件を取り扱うのは3度目になるが、
徹底的に追求する。
きのうのニュースや、今朝の各紙で報道された以下の件。

政府が検討している2019年元日の新天皇即位をめぐり、宮内庁の西村泰彦次長は、元日は早朝から祭祀(さいし)や新年祝賀の儀などの行事や儀式が重なるため、「1月1日は皇室にとって極めて重要な日」として「譲位や即位の儀式を設定するのはなかなか難しい」と述べた。

(テレ朝HPから引用) 


もう既に、様々なところで言及されているかもしれないが、筆者も敢えて言う。
現代日本を覆っている「病弊」のようなものの典型例だからだ。


まだ今上天皇の生前退位に関わる法律をどうするか決まっていない段階から、
結論ありきのように、あるいは既定路線であるかのように、2019年の新天皇即位を
どのように取り計らうかの話題がなぜ出てくるのかということ。
これは筆者にとっては腑に落ちない事例であるし、とにかく面倒な案件だから、
特例法で対処しようとする、政府側からの意図的な世論誘導ではないかという
疑念は拭えない。


一部の報道では、政府の有識者会議においても、生前退位を今上天皇の一代限りに
適用する「特別法」で解決を図る方向性を明確にするそうだが、何故に「特別法」が
憲法の規範に抵触しないのかに対する明確な説明が為されていないのはいかがなもの
だろう。


憲法2条では、皇位は世襲のものであって、国会の議決した皇室典範の定めるところに
より、これを継承する。 と規定されている。


この条文では、なぜ、「法の定めるところ」ではなくて、「皇室典範の定めるところ」
とわざわざ明記されているかについて注意を払わねばならないだろう。
少なくとも、当時の起草者が意味も無く「皇室典範」と特定して書き入れたわけでは
ないと考えるのが普通の感覚だと思う。現行の有識者会議のメンバーは、法律学の
専門家がいないのか知らないが、そのあたりの視点が欠落している。


今朝(2017.1.18)の朝日新聞朝刊のオピニオン&フォーラム欄(13面)で
「退位のルール」として、元最高裁判事の藤田宙靖氏が述べられているように、


憲法がわざわざ「皇室典範」と法律名を特定して書いている背景には

安定的な皇位継承のためには明確なルールが必要であり、政治状況や

社会状況に応じて、時の政権や多数派の主導によって安易な代替わりが

あってはならないという意味が込められていると考えるからです。

という理念を柱にして、この問題を考えて行かないと、憲法の規定を遵守することに
つながらない点で問題があるように思う。
藤田氏が述べられたような内容が、憲法の基本原則とするならば、
全ての皇族に普遍的に適用され得る形式として、皇室典範の改正をもって執り行うのが
筋ではないかと考える。


有識者会議や政府の意向を慮るに、特別法では皇位継承の明確なルールが
付記されない公算が高い。今上天皇の体調面の重篤性、退位と即位の日程だけが
条文として規定されることが推察されるからである。


いずれにせよ、拙速であってはならない重要な問題ゆえに、皇室典範の改正を
中心に、国会で充分に議論が尽くされることを望む。
特別法で解決を図ろうとする短絡的な動きは、原理原則、正当な法解釈を軽視する
端緒にもつながりかねない為、筆者は断固として否定する立場を取る。
そして、今上天皇が体調面で国事行為を執り行い得ない現況であるならば、
取り急ぎ「摂政」を置いて事を円滑に進めることは前回も主張した通り。
また、公的行為については、明確な法規定がない以上、宮内庁側で
調整を図ればいいだけの話である。








ナイジェル・マンセル インディカー(SFC)


タイトル:「ナイジェルマンセル インディカー」
機種:スーパーファミコン
メーカー:アクレイムジャパン
発売日:1994年?月
ジャンル:レース


このソフトをいつ入手したかは不明だが、箱・説明書なしの中古で買ったのだけは
確実である。
ナイジェル・マンセル氏は、F1時代に筆者が応援していたドライバーの一人。
おそらくそのことがあったので、当ソフトを処分をせずに今日まで所持していたの
だろう。





ゲームモード画面のSSを撮り忘れてしまったが、
アーケード(スポットレース)とグランプリ(パスワードコンテニュー制)の
2種類が選べる。





キーコンフィグが付いているのは、洋ゲーにしては親切設計の部類に入る。


同じマンセルものでは、別メーカーで、1993年に発売された
「ナイジェルマンセル F1チャレンジ」というレースゲームがあるが、
キーコンフィグなしで尚且つ、Bボタン(アクセル)、Aボタン(ブレーキ)という
逆パターンになっているクソ仕様。遊び辛い事この上なし。



予選 クォリファイの文字が、左上から右下に向かって拡大しながら流れてくるという
無駄な仕組み。どうでもよい事でスーパーファミコンの「拡大機能」を無駄に消尽する
典型例。




予選終了後のグリッド画面。全12台中、11位だった。



決勝 今度はRaceの文字が、左上から右下に拡大しながら流れてくる。
まあ何と言いますか、バカっぽい仕様ですな。



決勝はローリングスタート



敵チームが操るマシンがかなり速くて、スリリングなレース展開が楽しめる。
操作性も良好。洋ゲーにしては丁寧に創られています。


ただし、レトロフリーク本体で使用すると、ゲーム自体は動くが、BGMと効果音が
無音になるという障害が発生するのは残念なところ。


(完)