マルハ大洋スポーツ

(原則日刊)2016年3月15日 第3種郵便物認可

しばらくブログをお休みします

しばらくブログの更新を中断致します。
今日ちょっと腰をひねった時に腹部をやってしまったようで、
腹痛が酷い状態です。また腸閉塞か?って気がしないでもないですが、
痛みが続いているので、ブログの方はしばらくお休みと致します。
ちょうど今年が術後10年なんだよなあ。気を付けてはいたんですが、
日常生活の中でちょっとした不都合で変な感じになるので厄介です。


様子をみて痛みが引かなければ病院に行きます。
場合によってはこれが最後の記事になるかもしれませんので、約1年もの間でしたが、
Niceマークその他、閲覧頂きました皆様方には大変にお世話になりました。
厚く御礼を申し上げます。


Maruspo・Essais「壱基園随想」(2017.3.7)

追憶のマルハ戦士 高田 博久 投手(在籍:1991-93年)

(注:本文中敬称略)


1991年から1993年の3年間、横浜大洋ホエールズ・横浜ベイスターズに
高田 博久という投手が在籍していた。


(画像はネットから拝借致しました。)


千葉商業高ー青学大ー日本楽器を経て、1986年にドラフト外で日本ハムに入団。
86年春先のオープン戦で新人ながら好調だったため、報道関係から一時注目を
集めていたことを筆者はハッキリと覚えている。以下プロでの戦績。


実働6年 47試合登板 1勝7敗。右投げのサブマリン投手である。
他に、1992年にはイースタンリーグの最多勝と最優先防御率という成績が
残されている。


日本ハムを自由契約になって、横浜大洋ホエールズへ移籍してきたのが、
90年のオフだったと思う。
戦力外通告を受けての入団である点と、選手名鑑に掲載されていた顔写真の
表情に悲壮感が漂っていたこともあって、筆者はこの選手の飛躍と成功を祈りながら
応援していたのである。
以前にも弊紙で何度か述べたかも知れないが、筆者は一流のスーパースター選手より、
挫折や苦労を強いられて、決して華やかではない選手に惹かれるところがある。
過去の12球団において、そういう選手を列挙するには相当数に上る為に、拙稿では
割愛するが、ホエールズ・ベイスターズに限ると、南海ホークスから戦力外通告を
受け、1987年のキャンプ中にテスト合格し、貴重な右の代打要員として活躍した
池之上 格、打撃投手から支配下選手まで這い上がり、中継ぎとして97年のAクラス
入りに貢献した西 清孝が挙げられる。


高田に話を戻すが、プロ初勝利にして1軍での唯一の勝利をマークしたのが、
1992年の7月15日 対中日(14回戦)仙台宮城球場(現:Koboパーク宮城)での試合。
延長12回表から登板し、2回を無失点で完了。ホエールズのサヨナラ勝利に
よるもの。
試合後のヒーローインタビューで高田は「こんなところで勝てるとは」と
涙を流し、7年目での涙のプロ初勝利ということで、翌日のスポーツ紙面を
賑わせた。
筆者はフジテレビのプロ野球ニュースでも見たし、翌日の一般紙(毎日)の
運動面でも、高田の勝利記事を閲読し、とてもうれしかったことも覚えている。
下積みの苦労が報われた、尊い1勝だと思う。


プロ初勝利を挙げた1992年は、高田にとって状態の良かったシーズンのようで、
ファームで最多勝と最優秀防御率を獲得しただけではなく、夏場以降は1軍での
登板機会にも恵まれた。
そういう中で、筆者も高田の投球をグラウンドで目にしている。
1992年の8月25日、ヤクルト対横浜大洋戦。確か中継ぎで1~2イニングを
投げており、点は取られていない。
最後にこの試合の内容を簡単に振り返って、本稿を終えるとしよう。


1992年、筆者が高校2年の時。
県内有数の進学校へ進んだトラキチのS君と、県内有数の教育問題校へ進学したK君の
3人で行ったのだった。秀才1名、バカ2名の妙な組み合わせだが、共通点は中学の
同級生。


しかしまあ、チケットの「大洋」の表記がいいでしょう?
これぞマルハである。マルハでなければホエールズではないのだ!


で、試合の方だが、ヤクルトが新浦 壽夫、大洋はこの年絶不調だった左腕エース、
野村 弘樹の先発で始まった。
新浦は、前年まで大洋にいて、92年シーズン当初はダイエーへ移籍したが、
わずが数か月でヤクルトにまた移籍したという慌ただしいシーズン。
さすがに大洋OBなので、心境は複雑だが敵は敵。滅多打ちにしてやれと熱烈応援。
この頃の私は、メガホンをバンバン叩きながら、大声で応援していたのだ。
成人して以降に私と知り合った者がこれを読んだら、信じられないと思うが。


夏休みももうすぐ終わるという、8月下旬のナイトゲーム。
優勝争いをしているヤクルトだったから、ライト側は超満員。対する大洋側も
夏場から調子が良かった関係もあって、8-9割の埋まり具合。
かなり賑やかな試合になった。


経過は、大洋先発の野村が序盤から乱調気味で、3回までで7失点。
大洋の反撃は、0-7ビハインドの6回表。疲れの見えたヤクルト先発新浦をはじめ、
リリーフ陣も攻め立て、高木豊の満塁本塁打など一挙9得点の大逆転劇を見せる。


豊の満塁弾が飛び出した時なんかは、レフトスタンドは狂喜乱舞。
いつもは冷めている同伴のK君が「これは来年、大洋が優勝すんじゃねえか?」
というほどの熱気に客席が包まれたのである。
そして、大洋がこの年限り、翌年から「横浜ベイスターズ」とチーム名を
変更することになるとは、この時点では知らない。


試合の方は結局、大洋の中継ぎ陣、松本 豊と欠端 光則が打たれて、ヤクルトに
再逆転を許して敗戦。だが、大きな盛り上がりを見せて、白熱した試合だったことも
含めて、私が観戦した中でもBEST1の試合という事は言えると思う。


最後に高田を見たのは、1993年の3月、千葉ロッテ対横浜のオープン戦(千葉マリン)
に出かけた際、外野フェンス付近でキャッチボールをしていた場面である。


(完)







Maruspo・Essais「壱基園随想」(2017.3.5)

卒業式の追憶 1994年


まず最初に、NHKの受信料についてのブログを綴られている方がいらしたので、
拝見させて頂いた件に触れる。本文中に受信料未払い分の時効は2年とあったのだが、
NHKの受信料は家賃の賃借料や、分譲住宅の管理組合費などと同様に
定期給付債権に該当するから時効は5年という判例が存在します。


さて本題に入ろう。何度も申しているが、筆者は話題性に乏しい。
乏しいながら、何らかの文章を編み出して投稿したい欲求があるために、
つまらない内容でも記事配信をしてしまう点は御目溢し願いたい。
プロ野球シーズンがスタートすれば、必然的に試合後レビュー記事配信となるので、
それまでは、適当な記事で埋め合わせを図ろうと思っている。
また、どうでもいいことだが、本タイトルの「壱基園随想」は、内田百閒大先生の
「百鬼園随筆」から着想したものである。本家本元の大先生のエッセーは、
抱腹絶倒とまではいかないものの、かなりユニークな作品集となっており、
当たり前だが筆者は遠く及ばない存在である。このようなパクリ行為に対して、
大先生も草葉の陰で激怒されていることだろう。
しかし、筆者の方も、「壱」=孤独に、「基」=自分独自の主義・思想の軸を
打ち立てるという基本姿勢を表しているので、決してフザケた言葉遊びでタイトルを
決めたわけではない旨を記しておく。


閑話休題。卒業式の話。時節柄なので今日はその話題で行く。
当然、筆者のことだから、明るい話ではないし、劇的なものがあるわけではない。
1994年3月 高校の卒業式。ちょうど今頃の日程ではなかったか。詳細な日にちは
失念したが、スケジュールとして3月10日より以前だったのは間違いない。


筆者の高校は進学校ではないので、クラスのほぼ全員が、就職や専門学校への
進路を決めていて、現役での大学受験に失敗して、進路先未定=浪人の者は
私一人のみ。中には、私より勉強が出来なかったにもかかわらず、実家が農家という
だけで東京農大へ入学できた奴がいたなあ。東洋の夜間部に合格した奴もいる。
コイツも私より勉強が出来なかった。


そういう状況下、クラスメートのみんなは進路先が決まってるだけあって、
実に晴れ晴れとした表情。
反対に私だけは、宙ぶらりんの境遇に置かれて、気分は塞ぎ切っていた。
卒業証書授与式を型どおり済ませ、最後のホームルームで担任のあいさつ終了後、
他のみんなはしばらく教室に留まってから、打ち上げ会をやるために、どこかの
ファミレスへ移動する予定であったが、私はそんな気にならなかったので、
誰にも挨拶すらせずに、そのままダッシュで教室を飛び出したのである。


チャリにまたがって、猛スピードで校門も脱出。卒業生中の退校者第1号も
私だっただろう。校門に突っ立っていた教師2人も、なんでもう帰るの?という
怪訝な表情。というか、やや愚弄したような面持ちにも見えたな。


その日の空は、私の気持ちを代弁するかのような、重苦しい曇天。
時折、小雨も降り注ぐ嫌な天候だった。
そんな中、「絶対に来年大学へ入って、人生を成功させて奴らを見返してやる!」
という決意と、「浪人したからといって、大学へ入れる保証はない」という恐怖感を
交錯させながら帰路についたことも、きのうのことのように覚えている。


思えば、高校2年生までは、明るく皆と打ち解け合うことが出来る性格だった私が、
高校3年になった途端に、周囲と齟齬をきたすようになってしまった。
自分自身が希望する進路を進めさせてもらえない状況下で、周りの連中は
思い思いの進路へ進むことができたことに対する嫉妬が凄まじかったからである。
ここが人生転落のターニングポイントだったと言っていい。


続きはまたいずれの機会にでも書く。


※どうも、この手のエセー形式だと、いつも以上に文章が下手くそになりますなあ。


(了)




Maruspo・Essais「壱基園随想」(2017.3.4)

石原問題②

再びこの問題を取り扱う。3月3日、豊洲移転問題に関わる石原前知事の記者会見の
模様についてである。


会見後半の報道陣による質疑応答時に気づいたことはなかっただろうか。
質問を問いかけていた者たちは、ひとり毎日新聞の記者を除いて、フリーあるいは、
テレビ局所属の連中だったことである。
要は、映像向けにメディア側が石原氏に厳しく追及する構図をつくりあげて、
劇場型の茶番劇を拵えたに等しい。ワイドショーのネタ補完には、おあつらえ向き
だったとは思うけど。その程度の内容だったと思います。


なお、今回の記者会見場で石原氏が真相を明確に話す義務がない点と、
豊洲移転に伴う政策判断に当たっては、都議会・都庁の複数部署に責任の所在が
分散されていると思われる点は前回指摘した通り。
逆に、この期に及んでも、石原氏が責任逃れをしていると批判している向きに
ついては、地方自治の仕組み、政策決定のプロセスを十二分に把握してから
文句を付けているのかと問いたい。
普通に考えて、都が主体となって進めた大型プロジェクトの最終決定の責任が、
当時の都知事であった石原氏に存在するとはいえ、そこに至るまでの過程においては、
様々な専門部署がからんでいるわけで、そのあたり、石原氏が正常な判断を下せる
だけの情報を提示したかどうかの点も追及されねば筋が通らないのではないか?


もう一つ不可解なのが、小池百合子氏が都知事になってから、豊洲市場の敷地で
有害物質が検出された旨によって、当初予定されていた2016年11月7日の
築地から豊洲への移転延期が簡単に決まったことである。
移転に向けて準備を整え、都議会でも散々議論を尽くして決定したスケジュールで
あろう。それをいとも簡単に、鶴の一声よろしく移転を中断することは本来、
あってはならない事のように思う。


豊洲の敷地における有害物質は、今後の科学的処置で改善される余地があること、
また、専門家による調査で人体に与える悪影響が軽微である点が報告されていること、
保管や輸送に伴う利便性、現行の築地市場の著しい老朽化、衛生面での不備、
アスベスト被害の懸念など、両者のメリット、デメリットを比較衡量した上で、
豊洲への移転へゴーサインを出したというのが、行政側と都議会の総意であった
はずである。確かに然るべき場所に「盛り土」がないなどの欠陥が見つかった点は、
許される事例ではないが、そこを早急に手当てするなどして対応し、
可及的速やかに移転へ向けて動き出すのが正しい在り方のように思われる。


誤解のないように付け加えておくが、本稿は、小池百合子氏に対する政策批判という
形になってしまったが、決して行政の長としての力量を疑っているわけではない。
国政で大臣経験者でもあり、政策通で頭のキレる人材であることは間違いないだろう。
隠された事実を白日の下に晒す問題提起力と行動力には、心底頭の下がる思いも
するが、その解決へ向けての着地点をどう捉えていくのか。注意深く見守って
いきたいところである。


(完)




「テロ等準備罪」について考える(2017.3.1)

犯罪の計画段階で処罰する「共謀罪」の要件を変えた「テロ等準備罪」について。


本件は何度か筆者の中で、論考を進めた上で記事を展開しようとしたのだが、
本文内容に納得がいかなかったので「ボツ」にしてきた。
しかし、先日の某新聞社の世論調査で、「テロ等準備罪」の成立に対し、おおむね
評価するという支持率が予想以上に高かった事と、2月28日付で新設する法案の
全容が明らかになった事もあるので、もう一度問題点を整理してみようという趣旨
である。


まずは、本日明らかにされた「テロ等準備罪」のポイントを列挙する。


【犯罪主体】
組織的犯罪集団の団体の活動として、当該行為を実行するための組織


【対象犯罪】
91の法律に規定された277種類


【準備行為】
計画に基づき資金又は物品の手配、関係場所の下見その他の計画をした犯罪を
実行するための準備行為


【法定刑】
長期10年を超える懲役・禁錮が定められているものは「5年以下の懲役・禁錮」

長期4年以上10年以下の懲役・禁錮が定められているものは「2年以下の懲役・禁錮」


最初に指摘しておかねばならないのは、朝日の夕刊文面でも述べられているように、
そもそも今回の「テロ等準備罪」法案の提起について、政府はその目的を、
2020年の東京五輪・パラリンピックなどに向けたテロ対策強化と位置付けているが、
同法案には、特定秘密保護法に定めているようなテロリズムの定義が見当たらない。
つまり、「テロ」を冠した呼称については、国民の目を欺くために、世論対策として
あくまで国会審議対策用に使われたに過ぎないのではないだろうか。
蓋を開けてみれば、事実上の「共謀罪」に等しいというのが本来の姿なのだろう。


筆者はこのような事例を、甚だしき問題と考えている。なぜかと言うに、
世界を席巻しているテロを撲滅しなければならないという国民感情に訴えかけながら、
実態は、犯罪を共謀し計画することが罪とされる共謀罪の本質と、全く変わるところが
ないからである。
これは、思想や言論の取り締まり強化につながり、国民の自由な意思表示活動に
大きな圧力を伴う事にも発展しかねない。
また、共謀罪は団体による犯罪組織を取り締まる法であるという意味において、
戦前の「治安維持法」を彷彿とさせるものがある。歴史を振り返ってみても、
治安維持法が1925年に帝国議会で議論された際、時の政権は「安寧秩序」などの
曖昧な概念を排し、「国体変革」「私有財産制度の否認」という明確な目的に
限定され、捜査機関等の国家権力による法の拡大解釈といった濫用を許さない
完全な法案だと説明したのだが、その後の修正で、「目的遂行罪」「準備結社罪」
などがつくられた経緯もあり、法規定の適用を様々な事例に拡大しないとする
政府の言明を、額面通り受け取ることの危険性は十分におさえておかねばならない
ポイントだろうと思う。


もう一つの問題として、政府は「国際組織犯罪防止条約」を締結するために、
国内法として「共謀罪」を設けておく必要があると主張しているが、この条約自体、
金銭的、物質的な利益を得る為の犯罪、すなわち、マネーロンダリングのような
経済犯罪を取り締まることが目的で、政治・宗教的なテロを対象として設けられている
わけではないこと。


日本でも上記条約の締結が必要である点について、論をまたないのは言うまでもない
ことなのだが、テロの取り締まり強化とは別個に考えねばならない問題である。
つまり、条約が求める経済犯罪対策として、集団的詐欺や人身売買、集団密航などの
犯罪に共謀罪が必要とするならば、それのみに限定して法案を吟味することが
求められるだろうし、それに尽きると思う。
条約批准とはまるで関係がない「テロ対策」を標榜として、いたずらに懲役・禁錮
4年以上の罰則ある犯罪に、広範囲に共謀罪を適用させる方法は、不当に権利を
侵害するものとして認めるべきではない。


さらに、日本の刑法では、犯行を実際に犯した「既遂」、犯罪行為に着手し具体的な
危険が生じた「未遂」を処罰するのを原則とし、殺人や強盗などの限られた重大犯罪
については、未遂以前の準備行為を予備罪として処罰する規定がある。
共謀罪は、それ以前の「犯罪の共謀」段階で罪責に問う事になる為、刑法理論から
考えても極めて異質な基準を設けることになるのだが、国会質疑における政府関係者の
答弁を見ても、法理論上の正当性を納得のいく形で説明された形跡は全くない。


そして今回提示された共謀罪の最重要課題である、罪に問う主体を
「組織的犯罪集団」とした点についてだが、こちらもまた、政府関係者の答弁では、
「一般の人は対象にならない」としているものの、もともと問題のない一般的な
組織体が、ある時期に犯罪を企図する凶悪集団になり果てた場合は、共謀罪の
適用対象とする見解や、金田法相の「一度や二度、凶悪集団になったからといって
共謀罪の対象とすることはあり得ない」という言及など、政府側の姿勢も
二転三転、曖昧模糊とした関係になっている。
それだけ本件の定義付けは曖昧で、通常の企業や労組、一般の市民団体にしても、
捜査当局が「重大な犯罪を共謀した」と判断した場合、その時点で組織的犯罪集団と
決めつけられ、捜査対象となる危険性は否定できないだろう。
これはいくら議論をし尽しても、最終的に捜査当局の恣意性を許す形に帰結してしまう
という問題を常に孕むのである。


以上より筆者は、「テロ等準備罪」の法案は審議する必要なし、ただちに廃案にすべしと
思料する。
ついでに筆者が怖いと思うのは、当該法案において、上に述べた様な実情を
考慮しないまま、テロを規制する有効な法律だとする先入観のもとに、
法案成立を支持する意向に傾きがちな世論の動向である。全く腑に落ちる結果では
ないし唖然とする思いのみが募る。
世論調査の結果如何では、政府の政策遂行を是認する結果にもつながりかねないので、
不明なものは不明とするなど、回答には慎重を期してもらいたいものである。


(完)