マルハ大洋スポーツ

(原則日刊)2016年3月15日 第3種郵便物認可

月間書評(2017年2月分)

今月は9点の書籍を閲読。(うち1冊は途中断念)



「絶望という抵抗」
版元:(株)金曜日
著:辺見 庸 佐高 信
ISBN:978-4-906605-99-6
定価(本体)¥1,500+税
【コメント】
辺見庸 氏と佐高 信氏の対談。週刊金曜日掲載分と、4章から8章までが本書オリジナルの
語りおろし。単行本にしてはボリューム不足だが、両氏の舌鋒鋭い社会に対する批判の
応酬に胸のすく思いがした。
あと面白かったのは、政治学者の藤原帰一をボロクソに批判しているところ。
世界情勢に対するコメントなんかみても、現状追認にとどまり、批判精神がまるで
ないと痛罵しているが私も同感である。




「分断されるアメリカ」
版元:集英社(集英社文庫)
著:サミュエル・ハンティントン
訳:鈴木 主税
ISBN:978-4-08-760730-7
定価(本体)¥1,200+税
【コメント】
総ページ数589という大分な書。私は277頁で挫折。
アメリカ文化に対する予備知識が備わっていないと、理解は困難を極める。
ただし、内容に優れ資料的価値の極めて高い書物と思われるので、頭脳明晰にして
研究の対象とされたい方には、一読を強くお勧めしたい。




「いま生きる『資本論』」
版元:新潮社(新潮文庫)
著:佐藤 優
ISBN:978-4-10-133178-2
定価(本体)¥550+税
【コメント】
佐藤 優先生の新潮講座、「一から分かる資本論」の講義を文書化したもの。
読み物としては非常に面白く、スラスラと頁をめくることができたのだが、
いかんせん私は、経済学は門外漢なので、佐藤氏が言わんとしているエッセンスを
充分に理解したとは言い難い。
本文中では、資本論ならびに経済原論を本格的に学ぶにあたって、必修となる書籍を
もれなく紹介しているので、その辺の情報を得たい人には有益な内容と言えると思う。





※カバーを外すと、洋書のようにクールなデザインとなっている。


「悲素」
版元:新潮社
著:帚木 蓬生
ISBN:978-4-10-331422-6
定価(本体)¥2,000+税
【コメント】
1998年7月に起きた「和歌山毒入りカレー事件」を主題とした小説。
小説とは言え、登場人物他が架空名になっているのみで、事実上、ノンフィクションの
体裁をもった内容、総ページ数544という大分な本である。
久々のハードカバー単行本の購入。2015年発刊の本だが、文庫化が待ち切れず、
Amazonの古本で格安で見つかったので(送料込みで約500円)即、入手した。
著者が精神科医であることもあって、医学的な用語や症例などが頻出するため、
多少読むのに難儀する点もあったが、犯人逮捕に全力を傾ける和歌山県警の二人の刑事、本書の主人公である医師が、カレー事件や過去の容疑者周辺の人物に対する事故と、
砒素中毒の因果関係を丁寧に積み上げていく姿勢に圧倒されっぱなし。
後半100ページほどは、1審での検察による証人尋問、続いて、弁護側の反対尋問の
詳細も描かれていて、刑事訴訟に関心がある方なら読み応えのある内容となっている。




「教師 宮沢賢治のしごと」
版元:小学館(小学館文庫)
著:畑山 博
ISBN:978-4-09-406397-4
定価(本体)¥570+税
【コメント】
1988年に単行本として出されてから、約30年を経ての文庫化。
大正10年からの5年間、宮沢賢治が故郷・花巻の農学校で教鞭を振るった際の
授業の内容を、当時の教え子(2名)への取材を通して明らかにしていく。
本書を読む限り、賢治の教育方法は独創的で興味深い事は確かである。




「聖断 昭和天皇と鈴木貫太郎」
版元:PHP研究所(PHP文庫)
著:半藤 一利
ISBN:978-4-569-66668-6
定価(本体)¥819+税
【コメント】
太平洋戦争時下における連合艦隊の壊滅、沖縄の陥落、原爆の投下など、破局へと
突き進んていった敗戦末期の日本。本土決戦が当然のように叫ばれて
「一億総玉砕論」が沸き起こる中、平和を希求する昭和天皇と「阿吽の呼吸」を
通じ合わせて、二人三脚で戦争を終結へ導いた老宰相「鈴木貫太郎」の生涯を
描いた名作ドキュメンタリー。
総ページ数560ページ、圧倒的な文章量。読了するのに1週間ほどを要し、読み進めるのには結構疲れることもあったが、読んで正解。新たな発見も少なくなかったからだ。


それにしても、終戦末期とはいえ、陸軍の強硬な徹底抗戦派によるクーデターや、
それに乗じた内戦などの大混乱の危険がある中で、昭和天皇の「聖断」という形で
ポツダム宣言受諾に踏み切る道筋を敷いた、鈴木首相の功績は大きすぎるほど大きいし、
うまく事が運んだ点も奇跡としか言いようがないと思う。
その陰には、鈴木貫太郎内閣の陸相、阿南惟幾が徹底抗戦を装いながら、軍部の
暴発をかろうじて抑えていたことも忘れてはならない。


また著者が、昭和天皇を戦争を推進させた大元帥という立場と、和平を求める天皇と
いう立場を切り分けて叙述しているところは、本書の重要なポイントである。
要は天皇には、立憲君主としての天皇と、統帥君主としての大元帥という二つの
側面を持つわけだが、当の昭和天皇がその二律背反に苦しんでいる描写には、
胸をふさがれる思いがする。
軍部にとって、天皇が同時に大元帥であることは好都合で、それをうまく利用する
ことによって、戦略(統帥)が政略(立憲制度に基づいた国政)の上位に立ち、
戦争ともなれば作戦を絶対的に押し付けることができたからだ。




「しのびよる破局 生体の悲鳴が聞こえるか」
版元:KADOKAWA(角川文庫)
著:辺見 庸
ISBN:978-4-04-341712-4
定価(本体)¥514+税
【コメント】
数年前に購入して読んだ本の再読。思想の「芯」をより強固に築くための再読書である。
本書における重要部分を引用しておこう。

青年たちが、障害者が、あるいは年老いた人々が、排除されてもよいものとして路上に放り投げられているときに、それを痛いとも感じなくなって、我が身の幸せだけを噛みしめるような人生というのはなんてつまらないのだ。なんて貧しいのだ、なんてゆがんでるのだという感性だけは失ったら終わりだと僕は思いたいのです。 (160頁~161頁)

同感だな。こういうのは、人間としての基本思想の主柱として、植え付けておかねば
ならないものだと思う。逆にこれを読んで、何とも思わないか、あるいは、鼻で
せせら笑うような輩がいれば、私はそういう連中を心の底から憎悪するし、
最も唾棄すべき存在とまで言い切るつもりである。




「文は一行目から書かなくていい」
版元:小学館(小学館文庫)
著:藤原 智美
ISBN:978-4-09-470015-2
定価(本体)¥650+税
【コメント】
芥川賞作家の藤原智美氏による、プロとして身に付けた文章表現術のノウハウ本。
200ページ弱と内容はコンパクトだが、奇をてらうことなく、良い文章を書くための
基本が分かりやすく丁寧に述べられている。文章表現を向上させたいと思うなら、
一読する価値は十分ある。




「昭和史の大河を往く4 帝都・東京が震えた日 二・二六事件、東京大空襲」
版元:中央公論新社(中公文庫)
著:保阪 正康
ISBN:978-4-12-205918-4
定価(本体)¥952+税
【コメント】
「帝都を震撼させた2・26事件」「東京が目撃した昭和という時代」のテーマで、
2007年に雑誌「サンデー毎日」に連載された記事を1冊の本にまとめたもの。
このシリーズは、昭和史の断片を振り返るのに有意であるとともに、読み物として
非常に面白い事で私のお気に入りでもあるのだが、今回はやや記事内容が散漫に
なってしまった印象がある。特に「2・26」に対する記事が、若干論旨不明な
ところがあり、理解するのに苦労した。私が「2・26」のテーマで詳しく論考を
進めようとするならば、別の資料にもあたらねばならないだろうと思っている。
要:今後の課題



【今月分の総括】
まだまだ読み進めたい書籍は山ほどあって、3月も引き続き同様のペースで
読書を行っていく予定である。
私にとって「学び直し」は「生き直し」の最重要事項となっており、知識の習得、
論考を進める事、文章表現力の上達、それらに徹底的にこだわっていきたい。


(完)






連絡事項(2017.2.24)

いちいち書くことでもないのでしょうが、「Muragon」ブログ参加者以外からも、
弊紙をご覧になられる方々がいらっしゃいますので、その便宜を図るため。


数日、記事更新を見合わせます。月末恒例の書評は予定通りやりますけれども。
記事にする材料が枯渇したのもありますが、気分も乗りません。


どうでもいい私事を書きますが、どうしても出かけねばならない用事が出来て、
今朝早く都心部へ出かけ、要件がすぐに済んで午前の朝早い時間だったから、
16年ほど前に勤めていた銀行の支店周辺を散策してみようと足を向けた。
特に意味はない。単なる郷愁である。
もう少し別な場所へ出かければ良さそうなものを、そういう発想しかできない時点で
かなり病的な気がしないでもないのだけれど。


そしてその場所は、私が知っていた風景とは別世界のように変貌を遂げ、さらに、
勤めていた店舗までが別のビルに生まれ変わっていた為に、愕然とした思いに
さらされました。それと同時に、当時、非常に忙しく休日を返上させられながらも
懸命に働いた日々を思い出し、胸がぶっ潰れる気分になってしまいました。
かつては、私にも企業組織にとって、必要とされた時期があったのだと。
実際にあったんですよ。支店の融資課の中で、主体的に意欲的に働いていた時期が。
それに比して、完全に落ちぶれてしまった自らの今の境遇は何ぞやと。


そんなわけで今日は、ロクに昼飯も食わずに、悄然として帰路につきましたが、
不快な思いはなかなか拭えませんな。なんかの拍子に、絶望感を催す回路が働くよう
になっている感じ。


絶望感の内訳を割合で表すと
人間としての基礎的能力の著しい欠陥に対する自分自身への苛立ち=80%
高校卒業時に希望する分野の道に進めさせてもらえなかった憤り=10%
大卒時に就職超氷河期だった為に真面な職にありつけなかった憤り=10%


こんなのがないまぜになって、時折私の神経を圧迫してくる。


余談ですが、池井戸 潤という私の最も大嫌いな作家がいます。この野郎があるとき
新聞紙上で「ロスジェネ世代で良い仕事に就けていないのは、当人の自己責任であり、
努力不足、能力不足の誹りは免れない」旨を述べていたことがありました。


私はこれを読んだ時に、池井戸に対する強烈な憤りを禁じ得ませんでした。
池井戸って作家になる前は、都市銀行の行員だったんですね。
バブル期の就活が恐ろしくイージーだったときに運よく入行したんだろうけど、
全うな職にあり付くのが楽だった分だけ、氷河期世代の苦しみというのを理解できない
のだと思う。
就職活動が困難を極めた中で、何とか正社員の地位を掴んだが、そこはブラック
企業で身も心も摩耗されて廃人にされてゆく過程を知らない。いや、概念としては
知り得ても、実体験が伴っていなければ、それは理解しているとは言えないのだ。
だから先に挙げた新聞紙上のようなことが平気で言えるんだね。
確かに池井戸の言っていることは的を得ているのだろう。しかし、巡り合わせの悪さ
などから、不幸にも希望する職種やまともな職業につけなかった者が、懸命に働いた
挙句に矢折れ刃尽きして、敗れ去ってしまう事に対する温かい眼差しというか、
寄り添う気持ちが徹底的に欠けている。その程度の作家が著述した作品に、一体何の
価値があるというのだろう。


池井戸なんて奴は、その程度の思索も浅い作家なわけで、「下町ロケット」だ
なんだいう作品を生み出しても、私は白々しいなあという印象しか持たない。
読んだことないけど。タダでも一生読むつもりはないけどね。


また戯言が過ぎました。誠に申し訳ない。
私は「Muragon」の運営主体会社の社長様の良きお人柄に、心の底から尊崇の念を
抱いているので、そういう素晴らしい方が立ち上げたブログサイトを穢すような、
バカみたいな記事を時折書いてしまう自分に対し、大いなる嫌悪感を持っています。
にもかかわらずだ。毎回毎回断腸の思い。公開しなければいいものを公開する。
公開せずにはいられない衝動を何とかせねばならないと思うのですが。
弱過ぎる人間の魂の叫びのつもりだが、社会的敗者の遠吠え程度にスルーして頂ければ
幸いです。敗者ですよ、敗者。私はね。世間相手にボロ負けしたクズ野郎。
充分自覚しています。そして弊紙をご覧になられる方々の私に対する侮蔑的心境も
当然あるだろうと認識しています。さすがにそこに気づかないほど、マヌケでは
ありませんから。


繰り返しますが、数日のあいだ記事更新はしません、ということと
今月の書評は予定通りやります。もちろん廃刊もしません。
数日お暇しますというだけの話です。


(完)






ファミスタハックロム1984年版基礎研究(10):「中日」編

Vol.10 1984年 中日ドラゴンズ編

ファミスタハックロムIPSパッチを使用して、1984年版のプロ野球ゲームを
試遊する企画


春季特別連載企画の第10弾。
今回は、1984年の中日ドラゴンズ編をお届けする。



84年の中日は、73勝49敗8分の2位。広島と熾烈な優勝争いを演じたようである。

筆者が住んでいた地域性もあるだろうが、周囲にドラゴンズファンがいなかったせいも

あって、記憶に留めていることは皆無に等しい。よって特段のエピソードを文面に

添えることは出来ないのであるが、その中でも記憶を辿っていくと、1986年シーズン中、山内一弘監督が成績不振を理由に途中休養になった事と、長距離打者の宇野勝

選手が極度の打撃不振に陥り、2度もファーム落ちになったこと、この2つの実例は

子どもながらにプロ野球の厳しさを垣間見せた出来事となった。


あとは84~86年頃といえば、空色に赤いラインが鮮やかだった、ドラゴンズのビジター

ユニフォームが格好良かったと思うし、選手別応援歌も印象的である。定番の

ドラゴンズマーチをはじめ、平野の「狼少年ケン」、宇野の「ウルトラ警備隊」、

上川の「親指トム」などは今でも覚えている。

最近は時代の変遷もあるのだろうが、このようなセンスある選曲が見当たらない点は

少々残念ではある。



さて今回は記事作成に当たり、ドラゴンズのビジターユニフォームで試合を行う

画像にしたかったので、筆者がドラゴンズを操作してゲームに臨むことにした。

当ゲームソフトは、プレイヤー1が必ず先行チームにさせられてしまうからである。

対戦チームは、画像の下段列、一番右。(FO)のマーク。

初代「ファミリースタジアム」でおなじみ、関東食品連合チーム「フーズフーズ」。



ドラゴンズの先発投手陣

こまつ (小松 辰雄)

すずき (鈴木 孝政)

かく  (郭 源治)


鈴木 孝政がこの年のエース格で16勝。小松はスピードガンの申し子。150km越えの

球速表示がでるたびに唸った記憶が。

郭も先発の一員として13勝と大健闘。星野監督時は抑えの切り札的存在にもなったが、

通算では先発としての活躍が目立ったのではないかと思う。




野手陣のベストメンバー



1番(右)たお 【田尾 安志】

.310 本20 これだけの成績を収めていながら、オフに杉本正とのトレードで

西武へ出されてしまうのは不可思議としか言いようがない。

打席でバットをグルグルと回す仕草が特徴の選手だが、ライオンズ移籍後、

巧打に陰りが見え始めたのは、チームとしても誤算であっただろう。



2番(中)ひらの 【平野 謙】

85年から86年にかけては、不動の1番打者であったためによく覚えている。

87年には監督が星野に代わり、また、若手の彦野利勝が成長したこともあって、

センターのポジションを脅かされる立場に置かれる。

起用法を巡っても対立があったようで、オフに西武へ放出されるが、その西武で

見事に再生し、攻守にわたってチームの日本一に貢献する。



3番(一)やざわ 【谷沢 健一】

1985年に2000本安打達成という報道に当時接した記憶があるのだが、

これだけの名選手でありながら、映像として谷沢の打撃を見た覚えがほとんどないのは

残念という他はない。アキレスけん断裂から復活し、カムバック賞も受賞した?ような。

それもあってか、応援歌が「帰ってきたウルトラマン」だったのも印象的。



4番(左)おおしま 【大島 康徳】

1983年に本塁打王。

筆者は日本ハム移籍後の方がよくみていた記憶があり、45歳まで右の代打として

現役を全うされた選手でもあった。



5番(三)もっか 【ケン・モッカ】

この選手もよく覚えている。おそらく中日球団史上、最もファンに愛された外国人選手

ではなかっただろうか。85年限りで退団するが、確か引退試合にような花道が

設けられていたような気がする。



6番(遊)うの 【宇野 勝】

1984年の本塁打王。筆者は贔屓球団ではないながら、この選手はファンだった。

スケールの大きい遊撃手だからである。ショートを守って40本越えの本塁打(85年)

とか有り得ない数字を残した。



7番(二)かみかわ 【上川 誠二】

80年代のビジターユニフォームが最も似合っていた選手だと思う。

その意味では、落合とのトレードでロッテ移籍は残念でもあった。



8番(捕)なかお 【中尾 孝義】

捕手ながらスマートで俊足を武器とし、鈍重な捕手のイメージを覆した

選手である。



ドラゴンズの控え野手

ふじおう (藤王 康晴)

ふじなみ (藤波 行雄)

とよだ  (豊田 誠佑)

おのうえ (尾上 旭)

かなやま (金山 卓嗣)


控えにも渋い面々が揃う。享栄高から鳴り物入りで入団した藤王は、プロでは大成せず。

藤波は左の代打切り札存在。何度か代打起用される場面を見ている。

若い頃に、太平洋クラブライオンズとのトレードを拒否し、ファンによる残留署名活動

に発展したこともあるという事を、何かの本で読んだ記憶がある。地元での人気が

高かった選手なのだろう。プロ選手としての実績はそれほどでもないが、東海テレビの

解説などメディアでの露出が高い事を考えれば、地元人気もさもありなんの印象をもつ。

豊田も知っている。星野監督の頃なんか、結構スタメンで出ていたような気がする。

星野同様に明大出身だから、身びいきされたこともあるだろうが、外野手として平均的な

能力をもった選手であることは否定しない。

尾上も見た記憶あり。内野の守備固めで出場する機会が多かったはず。のちに近鉄へ移籍





次回は、1984年 広島東洋カープ編


(続)






ファミスタハックロム1984年版基礎研究⑨:「巨人」編

Vol.9 1984年 読売ジャイアンツ編

ファミスタハックロムIPSパッチを使用して、1984年版のプロ野球ゲームを
試遊する企画


春季特別連載企画の第9弾。
今回は、1984年の読売ジャイアンツ編をお届けするが、


球界の盟主であられます「東京巨人軍」に敬意を込めて、筆者の魂の入った

揮毫(巨人の筆字)をもって記事をスタートさせたいと思う。


で、巨人。我々の世代では、少年たちはみんな巨人が大好きだったはずで、

何故に筆者が巨人ファンにならなかったのか?については、明確な理由があった

わけではない。

江川の入団の経緯などは、当時の筆者には知らない事であり、球団に対する
ダーティなイメージは持ち得ようがないし、アンチ巨人というわけでもない。

ただ何となく、みんなが応援しているチームは避けようという、意識が働いたのでは

ないかと思う。

従って「巨人」と聞いて、胸を躍らせることも無ければ、憎悪のような感情が

湧き上がってくることもない。その辺は今も昔も変わらない心境である。


そのような中で、一点だけ筆者固有のエピソードを挙げるとするならば、

幼稚園児のころに「王選手のプロ野球盤」を持っていたこと。




(3点とも画像はHARDOFFネットモールより引用)


イポック社という玩具メーカーから各種発売されていた野球盤ですね。

ピッチャーズマウンドからパチンコ玉をゴロゴロ転がして、バットで打つという

玩具で、さすがに幼稚園児には難しかったが、小学生に上がったころには、

友人たちと遊ぶのに重宝した。ファミコン野球ゲームが世に出回る、だいぶ前の

話である。


ちなみに「王選手のプロ野球盤」を入手した先は、幼稚園児のころに、クラス単位で

出演したフジテレビの幼児向け番組「ピンポンパン」の番組収録時である。

何を隠そう、筆者は幼稚園の年長時に(1981年)テレビに1度だけ出演している。

ジョリジョリマンに追いかけ回されたりしたのだ。で、番組の最後に出演者が

森林をモチーフにした仕掛けに入って、プレゼントを持ち帰れるコーナーがあった

のだが、その時に野球盤を頂いたという、ウソのようなホントの話。



パスワードコンテニュウ制の勝ち抜き戦は第8戦。

大洋対巨人


ジャイアンツの先発投手陣

にしもと(西本 聖)

えがわ (江川 卓)

かとう (加藤 初)


西本、江川の2大巨頭がともに15勝をあげて、加藤初も10勝。

84年のジャイアンツは、リリーフも含めて投手力が安定していたようである。

筆者は江川の凄かった時期について、あまりイメージが湧かない。

西本は当時、「はごろもコツブ」というつぶつぶ入りのミカンジュースCMに

出ていた。85年以降は、やや干されていた時期もあったが、88年オフに中日へ

移籍してから20勝を挙げて古巣を見返すなど、ど根性の人である。




野手陣のベストメンバー


1番(左)まつもと 【松本 匡史】

盗塁王2回(1982、83)俊足が持ち味の「青い稲妻」

プロ野球選手とは思えない学者然としたインテリ風貌が印象的。

出塁時の牽制が執拗な為、一塁ベースへ帰塁のつど、ユニフォームのズボンに

土が大量に入るというので、ツナギ型のユニフォームを着用していた時期が

あったような気がする。



2番(二)しのづか 【篠塚 利夫】

84年の首位打者。87年にも正田(C)と分け合って首位打者を獲得。

チームきっての巧打者である。

打撃のみならず守備も優れていた印象があるがどうだろう。

小学校時のクラスメイトで、熱烈な篠塚ファンがいたが、いつも篠塚の写真が

入った下敷きを使っていたことを思い出した。



3番(中)くろまてぃ 【ウォーレン・クロマティ】

バンザイ男。89年は首位打者にも輝いているが、シーズン途中まで打率4割を維持して、

毎打席ヒットを打っていたようなイメージが残っている。

一度、中日の宮下投手から死球を受けて激昂したことを除いては、さほど態度の悪い

外国人選手ではなかったと思う。



4番(一)なかはた 【中畑 清】

ご存知「絶好調」男。この年の4番は原 辰徳ではなく中畑だったが、

筆者も巨人の4番といったら、原より中畑の印象が強い。

攻守に優れ、足も案外速かったのではなかったか。87年には首位打者争いを

していた時期があり、晩年には1番を打つことも多かったので、巧打者としての

活躍も目立った。89年の日本シリーズ(対近鉄)で、引退最後の打席で本塁打を

放った場面も目に焼き付いている。



5番(右)すみす 【レジー・スミス】

スタンドの観客とトラブルを起こした?ことがあったような、無かったような。



6番(三)はら 【原 辰徳】

当時の少年たちに大人気だった選手であるが、筆者は特に何とも思わなかった。

どういうわけか父親が原の事を嫌っていて、よく悪口を言っていた覚えがあるので、

その影響もあるのかも知れぬ。

それは別としても、首都圏では人気が高かったので、明治プリンとかハイレモンの

CMに出演していた。



7番(遊)こうの 【河埜 和正】

この選手は、長くジャイアンツのショートを守ってきた選手ではなかったか。

だけどテレビで見た記憶が残っていない。

同じ「こうの」でも鴻野 淳基の方が馴染み深い。



8番(捕)やまくら 【山倉 和博】

1987年まではジャイアンツの不動の正捕手。その87年に22本の本塁打を打って、

「意外性の男」という異名を取ったことをハッキリと覚えている。ただ活躍したのは

そこまでで、88年以降は急激に衰えてしまった。「痛風」の影響だろう。

90年頃に金田正一監督のロッテへトレードという報道もあったが、立ち消えに。

パリーグ移籍で心機一転を図っても、活躍は難しかったと思われる。



ジャイアンツの控え野手

よしむら(吉村 禎章)

やまもとM(山本 雅夫)

あわぐち(淡口 憲治)

こまだ (駒田 徳広)

すずき (鈴木 康友)


控えもレギュラークラスの選手が揃っていて、層が厚かったようである。




例の如く、初戦は必ず敗れてしまいます。




リベンジ再戦で勝利

ひろかず(加藤博一)の先制ホームランが飛び出し、そのまま逃げ切り。

ファミスタはゲームバランスが良く、タイミングさえ合えば、誰でも本塁打を

打てるので、高木豊でも加藤でも屋鋪でもお構いなく、ホームラン狙いでいきます。


次回は、1984年 中日ドラゴンズ編


(続)





ファミスタハックロム1984年版基礎研究⑧:「阪神」編

Vol.8 1984年 阪神タイガース編

ファミスタハックロムIPSパッチを使用して、1984年版のプロ野球ゲームを
試遊する企画


春季特別連載企画の第8弾。
今回は、1984年の阪神タイガース編をお届けする。


実を言うと、筆者は小学生の頃に、阪神タイガースのホーム用レプリカ帽子を
持っていたことがある。
ホエールズの帽子は既に持っていたのだが、紺色で夏場は見た目にも暑苦しい
ということで、白を基調としたこの帽子を母親に買ってもらった、というよりは、
母方の実家である某地方都市のYデパートの帽子売り場で、筆者が野球帽を
物色していたら、半ば強制的に選ばされてしまったようなものであった。
ちょうど、阪神が日本一に輝いた、1985年の夏のことである。


筆者も、特に応援している球団の帽子ではなくとも頓着せずに、夏場は白のタイガース
帽をかぶって、近所を徘徊しまくっていたと思う。
事実、大洋の帽子は黒っぽい紺色でアチー感じがしていたので(メッシュではなく、
全部ナイロン地のもの)代用として丁度良かったのだろう。


さて、1984年のタイガースについてであるが、53勝69敗8分の4位。
監督は安藤 統男で、成績不振から6月途中に、佐藤 孝夫が代行となっている。
残念ながら私自身がプロ野球に強い関心を抱き始めたばかりの頃なので、
ほとんど印象に残っていない。
ただ本稿の後段で紹介するとおり、打線はかなり強力だった模様である。
先発投手で安定感に優れた柱になり得るメンバーが揃えば、充分に上位を窺える
チーム力だったと思われる。
その懸案だった先発候補として、リッチ・ゲイル投手を助っ人として獲得し、
池田 親興、中田 良弘の両投手が成長したことが、1985年の日本一に実を結ぶ結果と
なった。


85年のタイガース優勝、そして名将、廣岡 達朗監督率いるライオンズを倒しての
日本一は、バース、掛布、岡田の強力クリンアップを中心とした重量打線を売りに
勝ち進んだもので、ダイナミックなプロ野球の醍醐味を筆者に植え付けた点で、
強烈なインパクトとなっている。



パスワードコンテニュウ制の勝ち抜き戦は第7戦
大洋対阪神


タイガースの先発投手陣
いけだ (池田 親興)
やまうち(山内 新一)
いとう (伊藤 文隆)


池田はこの時期のタイガースのエース格。84年も85年も9勝どまりなのは
勿体ない印象。85年は日本シリーズでの好投が光った。
のちに、ダイエー、ヤクルトへ移籍。救援投手として地味に活躍した。
山内は、南海から移籍1年目で7勝を挙げたシーズンだが、選手としての峠は
超えていたか。翌85年限りで引退。
伊藤は速球派のイメージ。




野手陣のベストメンバー


1番(二)まゆみ 【真弓 明信】
長年タイガースに貢献した、長打の打てる核弾頭。85年は外野に転向して、34本塁打。
まさに驚異の先頭打者であった。
他に記憶に留めている事項は、1986年に掛布が死球による怪我で戦列を離れた際、
代役としてサードを数試合守り、無難にこなしたこと。
あとは見落としがちだが、柳川高校ー電電九州ークラウンライターOBなので、
福岡との地縁は強い。



2番(中)ひろた 【弘田 澄男】
3割を維持する打力を買われて、若手の北村や吉竹よりもスタメンで起用される
ケースが多かったのだろう。
筆者の記憶は、1985年の日本シリーズで、2番DHでフル出場したこと。
もとはロッテオリオンズの所属。真弓同様に、パリーグからの移籍選手である。



3番(左)さの 【佐野 仙好】
タイガース一筋16年。打率2割7-8分、本塁打10本程度を毎年コンスタントに打つ
中距離打者のイメージ。6番レフトで出場する機会が多かったので、筆者も
よく覚えている選手である。



4番(三)かけふ 【掛布 雅之】
84年は宇野勝(D)と分け合っての本塁打王。
通算で本塁打王3回、打点王1回。70年代後半から80年代前半にかけて、
セリーグを代表する長距離打者であった。
非常に残念だったのは、86年の中日戦で、斉藤学から死球を受けて手を骨折して
戦線離脱。以降は複数の故障を患い、かつての打棒は戻ることなく、
88年に33歳の若さで引退を余儀なくされたことである。



5番(一)ばーす 【ランディ・バース】
85年と86年に2年連続の三冠王。とにかく凄い助っ人選手であるという
印象あるのみ。筆者の記憶の限りでは、三振をしたところを見たことがない。



6番(右)おかだ 【岡田 彰布】
もとは内野手だが、84年は外野手として起用されていた。
日本一になった85年は3割4分台の打率に、35本の本塁打を放ち、このシーズンが
キャリアハイ。非常によく打っていた印象がある。



7番(遊)ひらた 【平田 勝男】
タイガースの名遊撃手といったら、筆者は真っ先にこの選手を挙げる。
和田 豊や八木 裕の台頭により、88年以降は出番が減りつつあったが、
内野の控えとして、貴重な戦力だったと思う。



8番(捕)やまかわ 【山川 猛】
84年の正捕手はこの選手。83年に清家 政和とのトレードで西武から移籍。
後年は、木戸が正捕手として定着した為に控えに回ることが多かった。
放出した清家はライオンズでショートのレギュラーにもなったし、
山川も1年限りとは言え、捕手のレギュラーとして貢献した。
地味ながら、お互いにとって良い効果をもたらしたトレードといえるだろう。



タイガースの控え投手



タイガースの控え野手
よしたけ(吉竹 春樹)
きたむら(北村 照文)
たなか (田中 昌宏)
やぎ  (八木 茂)
ふじた (藤田 平)


北村はセンターの守備が滅法うまかった選手。
吉竹も北村も、のちに西武ライオンズへ移籍するのは不思議な因縁である。
田中は社会人の三協精機OBの外野手。伊藤文隆投手も三協精機から入団しているので、
何らかのつながりがあったのだろうか。
八木は後年に4番も打つ、八木裕選手とは別人。内野の控えとして貢献したようである。




試合はバースに4本のホームランを打たれて敗戦。バース強過ぎ。



リベンジ再戦も


バース全打席敬遠作戦に出たのだが、延長11回裏にウッカリとバースへ
甘い球をなげてしまって、サヨナラ弾を喰らう。




3度目の正直でようやく勝利しました。


次回は、1984年 読売ジャイアンツ編



(続)