マルハ大洋スポーツ

                       
                       

野球盤の話をしよう

まだ任天堂ファミリーコンピュータの「ベースボール」が発売されていない時代は、
こういう野球盤で遊ぶしかありませんでしてね、筆者も小学校1,2年の頃はまだ野球の
事をよく知らないまでも、友人の家で集まった時は「野球盤」で遊ぶことも度々
ありました。1982年とか1983年頃の話ですね。


仕組みはピッチャーズマウンドから、パチンコ玉を転がして、攻撃側はタイミングよく
バットを当てて、パチンコ玉の進んだ先が、打撃結果となるという。
内外野の定位置に玉が落ちたらアウト。各所に点在する「凹み部分」以外に玉が留まったら、安打扱いではなかったかと思う。


マウンドからバッターボックスの間までは、底に磁石が埋め込めれてて、真っ直ぐ、
シュート、カーブと3方向に投げ分けることが一応出来ます。
打つ方は、記憶の限り、三塁打とか、本塁打は出たためしがない。これホームランとか
無理ゲーじゃないのかという設定だと思いますな。


そしてカウントとか得点の経過、ランナーの動きとかを全て手動でやんなければ
ならないから、ある程度の野球知識がないと、試合になりませんね。これはたぶん
小学校高学年以上向け、我々が遊んでいた時分は、全くと言っていいほど試合は
成立しなかった。


それが顕著だったのが、筆者の小学校1,2年時のクラスメート、ベーアー兄弟(仮名:
ベーアー弟が筆者と同級)の家に遊びに行った際、ベーアー兄(確か小学校4年くらい
じゃなかったか)の友人も集まっていて、筆者も同じくクラスメートの、シマヅータケッ
(仮名)を同伴して行ったから、総勢5-6名くらいになったのではなかったか。


で、まだファミコンなんか発売される前だから、屋内で楽しむ玩具は限られている。
当時、トイラジコンは流行ったけど(加速度的に寿命が無くなる乾電池の消費に苦労
した)ラジコンは野外で遊ぶものだから、室内での遊びとなると、まあだいたい、
「人生ゲーム」とか「野球盤」になるわけです。
よってこの時は「野球盤」で遊ぼうという事になったのだが、序盤から揉め事ばかり
で試合なんかできたもんじゃない。というのも「野球盤」には


守備側がレバーを引くとボールは手前で落ちて行く「消える魔球」装置が備わって
いまして、これを使われると打てなくなることが少なくない。
なので、事前の自主ルールとして「消える魔球」使用禁止を設けるのだが、まあ、
そんなの守る子はいない。勝手にレバーを引いて「うぁー、それ使うなと言っただろう」
とかひと悶着が必ず出てくる。そりゃあね、ここぞというタイミングでレバーを引いて、
ボールを落っことして空振りを奪う楽しさはハンパなものではなかったので、使用禁止
なんて論外。攻撃側は、ボールが消える直前に早めにバットを振れば当たるからね。
ほとんど内野ゴロになった気がするけど。


他にもカウントをいい加減に把握したり、打球の転がり方が気にいらないのか
「これはヒットかアウトか」でもめたり、何といいますか、遊びの材料と言うよりは、
揉め事の材料と言った方がいいかも知れませんね。ええ。
挙句の果てには、バッターが打った瞬間、野球盤をひっくり返して「ファール!ファール!」なんて言い出す者も出てきたり、メチャクチャでしたな。こういう暴挙に出たのは
ベーアーの兄に決まっている。試合にならん。


そんな中でも印象に残っているのは、シマヅー君が「今の当たりはセカンドゴロ!」
とか盤面を見れば分かり切ったことを、ボソボソつぶやくのには気が滅入ったような
気がする。人の事言えた立場ではないが、シマヅー君も妙な少年だったなー、顔立ちが
当時の首相、ナカソネ康弘さんにソックリだったんだねー。相当なオッサン顔だ。


シマヅー君は、学校で行われるテストの解答用紙にある自分の名前を書く欄に、
まずはでっかく平仮名で「しまづ」って書いてしまうから、フルネームを記入できない。
ふつう、例えば山田太郎くんだったら、「やまだたろう」とミミズが躍ったような汚い
字でもフルネームで書くと思うが、シマヅー君だけが唯一「しまづ」だけである。
どうでも良い事ですが、子供心に「不思議な書き方をするなー」と思った。


また、小学校1年の時は、担任の自己満足型企画、文集をつくろうという事になって
「大人になったら何になりたいか」の作文を集めて、一冊の冊子にまとめたことが
あったが、シマヅー君は「パイロット」になりたいと、飛行機の絵も載せて寄稿
していた。まーだ文章覚えているぞ。「ぼくはおとなになったらぱいろっとに
なる、そらをとんで、ふらんすにもいく」
こんな感じだったと思うが、最後の「ふらんすにもいく」が唐突過ぎてウケたな。
なんでフランスなのだ! アメリカではダメなのか? いろいろと考えさせられた
ものである。そしてシマヅー君は、晴れて国際線のパイロットになったのだろうか?


他には、毎日のように学校で「きのう(巨人の)原がサヨナラホームランを打った」
なんて言ってた。当時まだ野球をよく知らない筆者は「ふーん」で返事を返したと思
うが、これもよく考えたら、毎日、原辰徳がサヨナラホームランをかっとばしていたら、
2000本安打どころか、2000本塁打達成とかアホなことになるな。


そして、ベーアー兄弟の母ちゃんが、なんというか、ヘビースモーカーで金髪(?)
だったような恐ろしい容貌でしてね、めちゃくちゃ怖かったなー、当時の筆者の周辺は、
某所の公団住宅だが、毎日がワンダフルであり魔窟だらけである。こういう環境にいたら、ロクなガキになるわけねーだろー! そしてまともな大人にもならぬことを図らずも
筆者は証明してしまったわけだが、割と後悔はしていない。


しかし、ベーアーのカアチャンには、一度、「ばくだんせんべい」なるおやつを
頂き、旨い旨いと食ってたら、これ家に持って帰れと、一気に30枚くらいもらった
ことがある。年がら年中腹を空かせていた筆者にはありがたいボーナスプレゼントで
あったが、今回もおやつの記憶をもって記事を締めさせて頂きます。


(了)