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165. ドクターマリオ (FC)

ドクターマリオ
メーカー:任天堂
ジャンル:パズル
発売日:1990年7月27日






ウィルスと同色のカプセルを4個積み重ねて、画面内のウィルスを全て消し去るという、
「テトリス」系のパズルゲームですね。ゲームとしてはよく出来ていて、結構楽しい
と思いますが、筆者自身、パズル系は苦手なので、あまり遊びませんでした。


当時、ドクターマリオの販促テレビCMが、バンバン流れていた記憶が。
特に巨人戦のナイター中継で、CMがしつこいくらい流されていたと思います。
まあ、あの時代の小、中学生って、ゴールデンタイムに巨人戦見ている子が
少なくなかったのでね。それに絞ってCMを垂れ流すというのは販売戦略的には
間違えていない。
例えば、以前のゲームブログ記事でも登場したクラスメートのバートマン山岡(仮名)
なんかは、プロ野球が好きではなく、PC88だか98というパソコンを所持していて、
「ザナドウ」とか「イース1・2」が大好きな日本ファルコムファンだったんだけど、
そういう奴でも、巨人戦中継はたまに見ていたようで、「クロマティが敬遠の球を
打って~」と話していた記憶があるから、割とみんな見ていたのでありますな。
恐ろしいキラーコンテンツですよ。当時の巨人戦ナイター中継は。


さて、ゲームの方ですが、これまたクラスメートの「金鳥リキッドしらい」君(仮名)
が持ってたから、筆者の家に遊びに来る時に持参してもらいました。「金鳥リキッド
しらい」は久々のお出ましですな。
このゲームが発売された1990年7月なんてのは、中学3年生で高校受験勉強で忙しい
時期であるはずだが、それにもかかわらず、最新作のゲームソフトを買っているよう
だったから当然にお勉強は苦手で、筆者同様「地元・同一市内・北辰テスト偏差値41・超教育問題校」というウンコバカ高校へ、ベルトコンベア式に運ばれてしまいました。


高校に進んだ時は、同じクラスメートになったのは、高校3年の時だけですが、
シライとは継続して仲が良かったなー。スーパーファミコンを遊ぶのに、筆者の家へ
よく遊びに来ていたし、高校1年の7月、中間テスト中に、近所に「ドキドキ冒険島」
という中古ゲーム屋が開店した際も、テスト勉強そっちのけで、一緒に足を運びました。
店内にはアーケードの「ストⅡ」の筐体が置いてある時期もあったな。
で、開店セールの際に、筆者は「ホームランナイター90」という野球ゲームを買い、
シライは「AKIRA」というアニメが原作のアドベンチャーゲーム買いましてね、
スゲーつまんねえと嘆いていたが、そんなクソゲー買うのが悪いのだ。


ちなみに「ドキドキ冒険島」の店主、結構な歳のオヤジだったけど、ある時、
仕入れ先(玩具問屋だろう)からの商品発送が遅いとかで、メチャクチャ電話口で
ブチ切れているのに遭遇したことがある。そこまで怒らんでもいいだろ!という
くらい怒ってたから、あれは見ていてウケた。さらに店がヒマなときは、レジスペース
に置いてあった、14インチテレビ(室内アンテナ付)で、東京12チャンネルで昼間
放送されていた「C級洋画劇場」なんか見ながら、ゲタゲタ笑っていたからな。
なかなか面白そうなお仕事だと思ったよ。
しかし、プレステーションが主流となった5年後、1996年ごろに店はつぶれて
しまいました。


さて、シライ君ですが、一緒にセンター試験を受けた帰りに、ヤキトリ丼を
ご馳走になったり、お世話になっておきながら、酷い事をしてしまったことがある。


というのも、シライは現役で夜間部とはいえニッコマ系大学へ進学した。
筆者は行きたくもねえ大学の受験に失敗し、浪人を余儀なくされた。


その筆者の浪人中に、たまたま出先からの帰り、地元駅のホームで電車を降車した際に、
入れ違いで乗り込んでくるシライに遭遇してしまった。


シライは、いかにも大学生活をエンジョイしてます的な服装や雰囲気を漂わせていた。
そういうのを見た筆者が「瞬間湯沸かし器」的に、ハラワタが煮えくりかえるほど
ムカついたことは言うまでもない。
シライは、普通に何気なく挨拶をしたつもりであろう「やあ!○○ちゃん(当時の筆者の
あだ名)」と言ったんだけど、精神的にキレまくっている筆者は、条件反射的に


「うるせええええええーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!」


と叫んでしまった。呆然としたであろうシライ。


シライ君はそれを聞いて「どうしたの?○○ちゃん」と少し悲しそうな声で返答するも、
筆者は、その声には無視を決め込んで、ホームから改札へ通じる階段へ歩を進めて
行った。


それ以来、シライには会っていない、というか目撃することもなかったかな。
今思うととても酷い対応だったと思うが、浪人中は特に(大学や銀行員時代もそうだったが)イラつきまくっていた筆者としては他に取りようのなかった態度でもあります。


苦い記憶だけが残った、1994年の初夏の時期か?5月頃だったと思う。
筆者の人生が大きく狂う端緒ではないかと、今では思っています。



(了)