無題(旧:マルハ大洋スポーツ)

                       
                       

銀行員時代の記憶②「ロビーマン」

皆さんが銀行に行くと、年配の男性職員が、ATMコーナーや預金課の窓口付近に
待ち構えて、顧客の案内や質問に答える光景を目にしたことはないでしょうか。


そういう役回りを行う職員を銀行業界では「ロビー活動要員」あるいは「ロビー
マン」といいます。銀行内で職位的にはどういった立場の人が、その職務を務めるかは
銀行によってまちまちですが、筆者が在籍した銀行では、50代後半から60代くらいの
パートタイマー的な雇用で来ていた「庶務」の人が務めていました。そして、そういう
言葉は悪いが「下っ端」的な仕事を、まず最初にやらされるのは「新入行員」の
勤めでもあり(なぜならば庶務の人は、パートタイマーであり、隔日の出勤のため、
不在時は代わりを果たさねばならないからである。)
筆者もまた例外なく該当し、入社間もない時期から3カ月くらいは、「ロビーマン」
中心の仕事を回されていました。もちろん、新人から6か月間だけ配属される窓口業務
の「預金課」(うちではなぜか営業課と名付けられていた)を経ると、すぐに「融資課」へ自動的に昇格するため、そのあいだに銀行業務の基礎を身に付けねばならないから、
ロビーマンばかりやっていたわけではないのですが、中心はロビー活動が大半を占めて
いました。


ロビー活動以外で、預金課で覚えた仕事は「ATM現金精査」「手形交換の確認作業」
「当座の赤残確認」(不渡り出さないための確認・入金督促)くらい。
いわゆる一般客に馴染みの大きい、預金の窓口(テラー)には、一度も入りません
でした。
ただ、それに加えて、後方事務処理(定期預金証書の作成、新規口座の作成、通帳
繰り越し)などのオペレーションも、仕事としてやらずじまいで、融資課に行ってから
少し苦労しました。これは預金課の上席者(副支店長と課長)の方針で、業後に「印鑑
簿」の画像処理システム取り入れの為の整理といった雑用に、筆者を当たらせたことも
影響としてはあると思います。他の支店に配属された同期なんかは、業後に新しい仕事を
教わっているなんていう者もいたし、中には、既にバイクに乗って渉外担当者と一緒に
客先訪問しているなんていう強者もいたり、まあ、配属支店の環境によって、スキルの
上達内容も変わってきます。


それはさておいて、ロビー活動の仕事内容は、朝、他の社員よりも30分ほど早く出社
して、店の周り、ATMコーナーの清掃、窓口の待合室の整理整頓・帳票類の補充、
営業担当が使用するスーパーカブ(6台)を、店舗外駐車場に運び出すこと。
午前9時に開店すれば、閉店の15時まで、ずっとATMコーナーや待合室に立ちっぱなし
で、「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」と自動会釈マシンよろしく
ペコペコ頭を下げまくり、時折、顧客を誘導したり、ATM操作の補助をしてやったり、
住宅ローンのパンフレットを配ったりなどが主な仕事内容です。一日やれば、足は
パンパンにむくんでくるし、慣れるまでは肉体的にしんどい思いをしました。


ちなみに、銀行の営業マンが使用するスーパーカブを、店舗内に格納するのは、
紛れもなく盗難防止と、車体の劣化防止でしょうね。都市銀行のエリート坊主は
悪くても軽自動車で営業周り出来て楽でしょうが、地方銀行の大半は、カブでの
ドサ周りのはず。そのカブを適切にメンテして長持ちさせるために、店舗外の
駐車場に放置せず、店舗内の床に大きなビニルシートを敷いて、バイクを格納
させます。どこの銀行でもやっていると思います。


少し本旨から離れますが、非正規社員でコツコツ真面目に働きながら、歌を詠み、歌人・俳人としての才を大いに発揮しながらも、32歳で自ら命を絶たれてしまわれた、萩原慎一郎さんという方の歌に、「頭を下げて 頭を下げて 牛丼をたべて 頭を下げて暮れ行く」というのがあります。今まで述べてきた銀行でのロビー活動というのも、まさにそれを象徴するような仕事と言えるんじゃないですかね。実際の筆者も、昼飯は駅ガード下の「立ち食いソバ屋」まで行って、腹がガッツリ溜まる「牛丼」を毎日のように食らい、残りの昼休みの時間を「マック」でLサイズのコーラをがぶ飲みしながら、不本意でも銀行員を選んでしまった後悔と将来への絶望で塞ぎこんでいたんだったな。そんなことを思い出しました。


残念ながら、筆者の人生は20歳前後、すなわち、大学入学以前・以後で「明と暗」が
大きく分かれます。従って、大学入学以後、特にサラリマン生活の頃の話をすると
非常に暗い内容となってしまうのは仕方のない事なんですね。


「マジメにコツコツ生きてきても上手くいかない不条理」に多少なりとも理解を示せる
方に読んで欲しいと願っています。まあその辺も、バブル世代より上や、ゆとり世代の
人たちに、その苦しさは分からないだろうと思います。生きてきた環境が違うんだから、
それは仕方がない。ただし、筆者は筆者なりに懸命に生きてきたつもりなので、その
航跡を揶揄あるいは嘲笑するのがいたらちょっと考えものとは思いますが。


「頭を下げて」の歌を詠んだ萩原さんが、32歳の若さで命を絶ってしまう、そうさせて
しまう世の中をつくっているのは一体何なのでしょうね。いつも念頭にあるのはその事に
尽きると言っても過言ではありません。萩原さんを自死に追い込んだ日本社会を筆者は心の底から憎悪しています。憎悪しているから、極度の人間嫌いだし、二度とこんなクソみたいな世の中で、社会参画はしないと決め込んでおります。


最後に、ロビー活動をしていた中で、最も不愉快だった出来事を書き添えて本稿を
終えようと思います。


不愉快な出来事とは、ある日、いつものようにATMコーナーの出入り口付近に突っ立って、ATMへの来客があったから、自動ドアが開いた瞬間「いらっしゃいませ!」と大きい声で挨拶かたがた頭を下げたら、店に入ってきたのは、女子高生2人組でした。
その二人組は筆者が頭を下げて、いらっしゃいませと言った姿が滑稽だったのか、
大声で笑い声をあげて「キャハハハハハ!超ビックリした、マジうけんの何これ?」
と宣ったことです。


筆者は与えられた持ち場で、真面目に仕事に取り組むという、至極全うなことを
していて、何故に笑われねばならないのでしょうか。この日は悔しさと腹立たしさで
一睡もできなかったんだったな。この屈辱は一生忘れることはありません。


ということで、今後適宜、社会人生活を送っていた時代の記憶をブログに綴って
行きたいと思います。時系列では書きません。思い出した事例を都度書いていく
形なので、話は前後し、分かり難いとは思いますが。筆者は現在に語るべき事項はなく、それは過去の出来事にしかありませんから、それを記憶の限り残しておきたいなという
希望です。ある種、「遺書」に近い内容なのかも知れませんが、いろいろあって、体調も精神面もダメージ大きく、おそらく年金受給年齢までは生きないのは確実なので、生きてきた証というか、総決算のつもりで記録していけたらということです。
コメントお寄せ頂くのは自由ですが、なるべく、筆者を揶揄、嘲笑する内容は控えて
もらえると気分を害さないで済むので助かります。


(了)