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ネオ・ピンチ! 記憶から辿る1990年代中古ゲーム屋事情

ネオ・ピンチ!
何がピンチなのかよう分からんけども、筆者が高校生から大学生にかけて、自宅近辺に
あった「中古ゲーム屋」の実情を、体験をもとに記述する本稿ですが、まあ、あくまで
筆者の記憶を辿りつつの内容ですから、業界事情に即したルポルタージュというほどの
ものではないし、それほどおもしろい記事にはならないと思う。


まずは筆者が居住していた(そして情けないことに今も居住する事となってしまった)
埼玉県某田舎町に存在していた、3店舗のゲームショップの経歴を紹介致します。


①「ドキドキ冒険島」(1991年7月開店ー1996年某月閉店)
②「ネオ」(1992年9月開店ー1997年2月頃閉店)
③「全国チェーンだ!トップボール」(1994年10月開店ー2003年3月閉店)


ざっとこんなところである。何故にそんなに細かく記憶しているのかは、筆者も
自分のことながら、よく分からぬ。そのどうでも良いことに対する異常とも言える
記憶の確かさというのは、ある意味、発達障害的な気質を持ち備えているのだろう
という自覚が無きにしもあらずで、一度、専門医に詳しく調べてもらったほうが
良さそうではあるが、金と時間の無駄、ならびに極度の医者嫌いであるため、診て
もらうつもりは毛頭ない。


で、今回お話を進めるのは、2番目にあげた「ネオ」というお店でしてね。
1992年9月開店です。筆者は高校2年生だな。世はスーパーファミコン全盛期で、
勉強なんかしないでゲームばっかやってたよ。クラスメートでもスーパーファミコン
持ってたのは、全男子の8割くらい占めてたんじゃないか?女の子は知らん。そもそも
理系クラスだったから、女子生徒は少なかった気がする。全く美人さんはいない。
その辺も現代とは違う。他には、とんねるずの木梨憲武にソックリな奴がいて、名前は「出光Uカード式・仮面ノリダー小澤」(仮名・以後の登場無し)っていうんだけど、ノリダー氏は、スーパーファミコン持ってなかった。しかしながら、PCエンジンは持っていて、「ナボナ電気店」で「ならず者戦闘部隊ブラッディウルフ」というDECO製のアクションゲームを中古で買ったなあ、なんてのを話していた記憶がある。そんな追想記をいちいち取り上げたら、キリがなく先へ進めないが、「ならず者戦闘部隊ブラッディウルフ」は面白いゲームですね。


「ネオ」に戻りますが、実はこのお店、一度店名を変更しているんですが、「ネオ」
の前はどういう店舗名だったか忘れました。
社長といいますか、店舗主=経営者は、ジョッキーの武豊を、さらに華奢な体形に
してメガネをかけたオッサンだった。このオッサンは、お会計の時に「こちら消費税
入りまして○○円になります」というのが口癖でしてね、消費税取るなアホ!


経営者以外の店員は、バイトが数名、入れ替わりで在籍していましたね。
常時2-3人はいたように思いますが、ゲームソフトの売り上げだけで、それだけの
人件費が払えるのか?という事については、頭の悪かった当時でも疑問に湧きました。
中古ゲームなんて、頻繁に売れるものでなし。新品ソフトも、地方郊外店舗では
破格とも言える「3掛け」(下手すると4掛け)くらいで売っていたから、粗利益なんて
たかが知れています。利用者としては新品が格安で手に入る上、都内へ行く電車賃も
浮くから、ありがたかったですけども。
バイトのメンバーは、同じ高校の1期上の者が、2人いました。他はバンダナを頭に
巻いたインディアン気取りなお姉さんが一人。


筆者は「ネオ」の開店から、しばらく週一のペースで訪問していたんだけど、
その目的は、1992年12月7日発売のSFCソフト「ファイナルファンタジーV」の
予約を確実にするため。前作の「FF4」は発売日に買えなかった苦い記憶があるので、
「V」は是が非でも発売日に手に入れたかったんですね。他に楽しそうなゲームも
なかったので、一刻でも早く「FF5」が遊びたい一心です。


訪問の度に、時には、スーパーファミコンの中古ソフト「トップレーサー」
「スーパースタジアム」「ポピュラス」をお買い上げになりながら、例の武豊にソックリ
な店主に、「ファイナルファンタジーV」の予約はいつですか?と問いかけたら店主は、
「まだ予約は受け付けていません。決まったらお知らせしますね。」と言ってくれたん
だけど、ある日、11月の中旬ごろかな、毎度のように「ファイナルファンタジーVの?」と言ったら、店主は「ああ、もう予約は打ち切りました」と言いましてね。
もう筆者は納得がいかないし「予約受付決まったら教えろ?と言ったじゃん」とか
「そのために毎週確認に来たじゃないですか?」とか言ってもナシのつぶて。挙げ句の
果てには店主も「あなたお越しになってましたっけ?」と空とぼけるばかり。そんな
毎週のように店に現れた筆者を、すぐに忘れるなんて、あるもんか!


仕方がないんで、そのあと、地元で最初にオープンした中古ゲーム屋「ドキドキ冒険島」
で何とか予約ができたのでした。ここの店主も発売予定日にゲームソフトが入荷しなかった際に、たまたま店に居合わせた時があって、電話で店主が玩具問屋と思しき相手に、
エライ剣幕で怒ってたけど、そのわりには急遽の融通が利きましたねー、「しょうがないなー今回だけですよ。」と嫌味言われたけど。筆者も「ドキドキ冒険島」でゲーム買ったのは、「ファイナルファンタジーV」が最後だ。


あとはそうですね、「ネオ」店舗訪問で記憶があるのは、高校3年時のクラスメートで、
「サンコン・ニカウ・友川」(仮名・既出かも。ただし仮名を変えた)というのがいて、
少し肌の色が浅黒かったから、そういうあだ名となった。


※(注)本稿には、近現代の観点からすると、差別的とみられる表現がありますが、
当ブログ主(執筆者)にその差別的な意図は全くなく、記事の特殊性・表現の必要性に
鑑みて、そのまま取り入れました。


というね、断り書きも入れておかないと、全く面倒臭い世界だ、ネット内は。


そのサンコン友川君と学校帰り「ネオ」に立ち寄ったら、店内のBGM(有線放送)で
「新・オバケのQ太郎」のオープニングソングがかかっててだな、



新 オバケのQ太郎 (主題歌)


もう筆者は大爆笑ですよ。ウケ過ぎて、何も買わないで帰ってきたんだった。
お金があまりなかったのが最大の理由だけど。友川は何か、メガドライブのソフトを
買ってた様な気がする。


さらに、同じく高校3年のクラスメートだった「金鳥リキッドしらい君」(仮名・既出)
ってのと、学校帰りに「ネオ」立ち寄ったこともあるけども、その時は、しらい君に
PCエンジン・コアグラフィックⅡという本体を借り受ける予定になっていたから、
「パワーリーグ」という野球ゲームを¥400で買ったんだけど、くだんのバンダナ娘店員が、そんな安物商品に、包み紙でキレイにラッピングして、リボンまで付けようとしてた
から、あわてて「そのままで結構です」と言って、テープだけ貼ってもらって持ち帰った
んだった。400円の買い物に、ラッピングとか勿体ないですよ。プレゼント仕様にされた
ところで、うれしくもなんともないし、ビリビリ破いて終了だ。


さてさて、「ネオ」ピンチの端緒となった出来事に話を移しますが、きっかけは、
1994年10月に地元では3店舗目となる中古ゲーム屋「全国チェーンだ!トップボール」
が開店した時ですね。その「トップボール」は、「ネオ」から直線距離で100メーターと
離れていない位置に店を構えましたので、あからさまな敵対行為であります。


この時の筆者は大学受験浪人中で、浪人時に再会した「タワシた・コースケ君」(仮名)
と、この件でも話題になりましてね。
どう考えても、チェーン展開の「トップボール」と個人経営と思しき「ネオ」では、
経営力に格差があり、営業面で「ネオ」が不利であることは素人でも分かろうという
もの。
よって筆者は、自分の低偏差値によって大学受験がピンチであることを棚に上げて、
「ネオ」の心配ばかりして、事あるごとにタワシた君に向かって「ネオ・ピンチ!」
「ネオ・ピンチ!」って言っていたんですね。ただそれだけの事です。考えようによっては、かなりキチガイ染みてますが、筆者の本質はだいたいそんなところであるから、
特段の心配はない。マヌケな人生を歩むのも想定内なのである。


それはともかくと致しまして、マヂメな話、筆者の予見通り、全国チェーン展開の
店舗が、営業エリアに進出してきたのは、個人経営の店舗には、それなりのダメージが
あったようでして、顧客からのソフト買い取り実績、ならびに、中古ソフトの販売実績が
振るわなくなったのでしょう。
「トップボール」開店から程なくして、なんと「ネオ」の方では、スーパーファミコン
買取強化と題して、箱・説明書付きの完品ソフトを5本揃えて(タイトルは問わず)、
買取に持ち込めば、ソフト5本の買取金額に加えて、ボーナスで2,000円加算!
という企画をやってしまいました。しかも無期限で。2,000円加算はデカイですよ。
筆者もスーパーファミコンで飽きたソフトは、「トップボール」ではなく「ネオ」に
持ち込むことの方が多かったです。


この2,000円加算買取の問題は、期間無制限だっただけではなく、タイトル不問だった
ことですね。例えば、中古在庫がだぶつきがちで、買取値段が恐ろしく安かった
「アクトレイザー」や「ストリートファイターⅡ」などを持ち込む客が続出。
そんなのにも2,000円を加算するから、赤字になるのは必至なわけです。なぜ途中で
止めなかったか理解が出来ません。


やがて、筆者も大学へ入学し、その大学近辺にあったゲーム屋か、秋葉原へ足を
運ぶようになり、それからは地元のゲームショップからは遠ざかりました。
時代はスーパーファミコンから、次世代機のプレイステーション、セガサターンへ。
ゲームソフトの流通形態も大きく変わって行きます。


そんな中、1997年の3月頃だな、冬休みの気だるさの中、「刑法総論講義」「刑法各論
講義」のテキストを持ち込んで、図書館で読んでいたら(何のために刑法の勉強を
しようとしたかは未だに謎。法曹人になるつもりはハナから無い。)
大学以降疎遠になっていた、タワシた・コースケ君に三たびの再開。なんかまた、
ゲームの話になって、「ネオ」がしばらく前に閉店したことも話題の俎上にあがった。


その時に、タワシタが言うには、「ネオ」の店員が総出で、夜遅い時間に、ワゴン車に
荷物を詰め込んでの脱走劇。すなわち「夜逃げ」を図ったんだそうです。


そういえば、この図書館での邂逅以来、タワシタには会っていない。
元気に暮らしていると良いのだが。


ということで「ネオ」編は長文になりましたが、これで終了。行きがかり上、3店舗目の
「トップボール」のお話も、どこかで簡単にまとめたいと思いますが、またいずれの
機会に。


(了)