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投げない敬遠四球


2018年2月16日付 朝日新聞(朝刊)12版・15面(オピニオン)にて
「オピニオン&フォーラム 耕論 投げない敬遠四球」というテーマで
3名の方の意見が掲載されていました。読んでみて興味深い内容でしたので、
それぞれの論旨をまとめておきます。


球春間近、今年は敬遠球の本塁打も暴投もなさそうだ。申告制が始まり、
選手も観客もより試合展開に集中できる。でも、どこか物足りなさも。
敬遠をめぐる思いはどこへ。


①里崎 智也さん 元プロ野球選手

これまでの敬遠は、バッテリーからすれば「無駄な事」という意識が

ありました。

その4球に重要度がない。「敬遠球」を投げれば肩の状態が上がる」なんて聞いたことがない。8歳から38歳まで捕手として野球をやったが、敬遠の練習をしている人を見たことがない。従って「申告敬遠」が始まっても、現場にデメリットは一つもない。


ルール上、いままで通りボール球を4回投げてもいいとはいえ、そんな面倒なことをする人はいない。暴投のリスクあり、立ち上がった捕手に軽く投げるなどの全力投球とは違う事をすると、投手の感覚が狂う可能性も否定できない。


敬遠は、関係者やファンの多くが推測できる作戦。「4球投げるか」ではなく「敬遠するか、しないか」の視点が大事。


先に大リーグで申告敬遠を経験されたイチローさんは、「野球が変わる」という問題意識があると聞く。しかし私は変わらないと思う。導入されてもどちらのチームが得をするということはない。


②鈴村 祐輔さん 野球文化学会会長

野球用語としては、「故意四球」が正式なもの。

いつ日本で「敬遠」と言われ始めたのかはハッキリしない。

文献を調べると、大正初期の野球解説書にはないのに、大正末期の新聞には当たり前のように出てくる。

私は、明治末期からの野球害毒論が影響したと見ている。

当時の東京朝日新聞などから、野球は卑怯者のやる事だという批判が

あった。

スポーツに「正々堂々」「男らしさ」を求められた時代に、故意に四球を出す戦術は、野球はわざと相手に勝ちを譲る「敗北主義」だと誹る

風潮があってもおかしくない。

そこでイメージ戦略として選ばれた用語が「敬遠」。

敬遠と呼べば、相手を恐れてるのではなく、敬っているから歩かせるという前向きな姿勢が表れる。当時、野球をする人たちはそう考えたのではないか。

野球が日本社会にどう受け入れられたかを象徴している言葉でもある。


申告敬遠は、実は1940年に米国のマイナーリーグで検討されました。

理由は試合展開を早くすること。対して、野球の面白さを削ぐという

反対論があり、当時はこちらが勝った。

それが去年、あっさりと(申告敬遠)が大リーグで受け入れられた。

今や野球は、バスケやサッカーなどテンポの良さで観客を集める競技に

対抗せねばならない。

日本でもさして議論にならずに導入が決まった。スピード重視は世の流れで4球投げ込む事は無駄だという考え方に違和感がなくなったこともあるでしょう。


③ねじめ 正一さん 詩人・小説家


敬遠の4球を省略したら、野球はつまらなくなる。

ファンにとって、野球の醍醐味は「起きるはずがないこと」が起きる

瞬間に出会うこと。なのに、ドラマが生まれる機会をわざわざ減らしてしまう「申告敬遠」には反対だ。


敬遠では暴投でサヨナラ負けをしたり、一方でホームランが出たりと、ときに信じられないようなことが起きる。もちろん敬遠自体が滅多に

ない作戦でしかもほとんどの場合、打者が1塁へ行く以外に何も起こ

らない。

ただ、その4球という手続きがあるから、その時間の中には常に可能性が潜在している。


野球のルールはよく出来ている。手続きは必要だからある。

省略化してしまうと魅力は半減する。残ったものは本当に野球なのか?

そんな感情さえ惹起する。

(以上、2018年2月16日付 朝日新聞 12版・16面より抜粋の上、要約)


里崎氏は現場サイドから見た「申告敬遠」賛成の立場、ねじめ氏はファンの視点から
見た「申告敬遠」反対の立場を表明していますが、それぞれの立ち位置における
代表的な意見と言う事が出来ますね。そして双方ともに「正論」だろうと思います。


野球文化学会会長、鈴村氏の「敬遠」用語が日本に定着したのは、明治期における
「野球害悪論」が影響しているとする説はなかなか興味深いですね。
それと、1940年に米国のマイナーで、申告敬遠を採用する事が検討されながらも
見送られたとする経緯は初めて知りました。最近、降って湧いたようなお話では
なかったんですね。


筆者(私)は「申告敬遠」に対してどう思うかについてですが、ルールとして
あってもいいし、無くてもいいし、どちらでも良いかなあという感じですかね。
ただ、日本球界での導入にあたっては、その適否について具体的な議論が
なされた形跡が窺えませんので(実際はどうなんだろう?筆者の知識不足ならごめん
なさい。)やや拙速に過ぎないかなという印象です。その点は実に「日本的」で
気に入らない。


言うまでもなく、敬遠策は1試合に何度もあるわけではないし、試合時間の短縮に
利するという考えは根拠として脆弱に過ぎる。また、敬遠中に暴投となってしまう
ケースや、敬遠のボールを打たれてしまうという守備側のリスクを無くすことも
目的であるでしょうが、そういうのも含めて「野球」ではないかという気が
しないでもありません。
里崎氏が言及している、中腰の捕手に対して全力ではない投球をすることで、
投手の感覚が狂う可能性はどうなんでしょうね。これも一見、さもありなんと
思わなくもないが、そういう傾向となる明確なデータが示されているわけでもなし、
野球の本質を阻害するレベルとは言い難い。


いずれにしましても、長年定着した野球ルールの一部改変にあたりますので、
そこには万人が納得する合理的な根拠が提示されない限り、米国が先陣を切って
取り入れたから日本も追随する、あるいは、試合時間短縮に効果があるといった
程度の内容で、「申告敬遠」が簡単に取り入れられてしまうということは
あってはならないことだと考えます。


(了)